名器と呼ばれた歴代テニスラケット!を生んだプリンスの歴史とは

スポンサードリンク

名器と呼ばれた歴代テニスラケット!を生んだプリンスの歴史とは

プリンスはテニスを中心にスポーツ用品を広く手がけるアメリカの老舗メーカーです。
プリンスという名前は、1970年にアメリカ・ニュージャージー州・プリンストンで、創業者であるボブ・マクレーが、その町にちなんでリトル・プリンスというテニスポールマシンを製造し、会社を設立したのがはじまりです。プリンスは街の名前「プリンストン」からきているわけですね。
1976年には「クラッシック」と呼ばれるストリング面の広さが110平方インチのテニスラケットを発売したことで、歴史を変えていきます。
当時テニス界では70平方インチのラケットが主流で、「大きいラケットは初心者用」と言われていましたが、この「クラシック」を使った選手が大会で大活躍。
日本ではクラシックのことを「デカラケ」と呼び、一大ブームとなりプリンスの名前も世界に知られていきます。

 

スポンサードリンク

 

「クラシック」の成功を足掛かりに、テニス用品の他にもバドミントンやスカッシュ用品などを製造して会社を大きくしていきますが、一時期は経営不振に。
1990年からはベネトンの傘下になっていました。
マルチナ・ナブラチロワやマリア・シャラポアがプリンスのテニスラケットを愛用したのが、このベネトン傘下の時です。
2012年には倒産裁判所に倒産法の適用を申請し、本格的に再建を目指していくようになります。
米国のAuthentic Brands Groupの下となり、日本ではグローブライド(旧ダイワ精工)が販売ライセンス契約を結ぶなどして、現在は無事に再建を果たしています。当時の負債は日本円で60億円ほどあったため、大変な道のりだったことは想像に難くありません。
無事に再建を果たせたのも、プリンスのテニスラケットが多くのテニスプレイヤーに愛されたからこそでしょう。

 

また、プリンスといえば歴代名器ラケットと呼ばれる「グラファイト」も忘れてはいけません。
1980年代に大流行したラケットですが、10万円程度とかなり高価だったため、「いつかはグラファイト」と多くのプレーヤーが憧れていました。
当時は「グラファイトを2本持っているだけで相手にプレッシャーを与えられる」、と言われるほどでした。
あまりに人気のシリーズだったため、現在でもリメイクされ続けられる珍しい一本で、当時そのままの打球感を求めて40代以降のプレーヤーに支持され続けています。

 

スポンサードリンク